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Johnny One Time

うさぎと犬と似非哲学者がダラダラとカオスな日常を綴るどうでも良い空間。

中途半端。

「合わせる」のと「好き」なのとは違うということに気付いたのは、本当につい最近のこと。
少し前までは、「好きだから合わせる」んだって勝手に思い込んでた。
でも、合わせるのは限界があって、いつか自分で違和感を覚えるようになる。本当はわたし、こんなもの好きじゃないのにっていう感覚。
それが増えてくると、ダメになる。
でも、自分でそのことに気付いていなかったから、傷つけてしまった人がいる。
反省と、清算。
この時期、ある人を思い出す。
甘いより、苦い思い出しかないけれど。
我慢出来るほど大人でもなくて、それに全く気付かず突き進めるほど若くもなかった、中途半端なわたしが傷つけてしまった人。
言い訳はいくらでもあるけど、事実は変わらない。少なくとも、その人の中で固まってしまった感情をほぐすことは、きっと二度と出来ない。でも、それで良いんだ。憎むにしろ悲しむにしろ、起きてしまった事実を消すことは出来ないのだから、相手がどう受け取ってどう消化していくのかは関与できない。覆水盆に返らずとは、よく言ったもので、一度相手の中で壊れてしまったものは、相手がどうにかするまでこちらが何をしてもどうにもならない。
それにー。わたしは、人に上手く伝えようのない、論理的ではない、かと言って感情的でもない、もはや直感としか言えないような感覚で動くことがある。どうやっても言葉では伝えられないその感覚を、理解できる人も稀にはいる。でも、ほとんどの人は、そんな感覚を共有できるはずもない。だって自分でも上手く説明できないんだもの。ただ、その直感めいたもので、警鐘を鳴らす自分を感じたことがあった。そうなると、どうやってもその場所から離れたくて仕方がなくなる。もっと、ちゃんと伝えられたり、あるいは上手に嘘をついてしまえば良いのに、そこもまた中途半端なんだよね。理解して欲しくて頑張るけど、結局は理解されなくて諦めてしまう。そんな付き合いから学んだのは、合わせるだけじゃダメだってことだった。

一周り以上年齢の違う人とお付き合いをしたことがある。うまくいかなかったのは、最終的にわたしが合わせすぎたことだった。その時は気付いていないんだよね、だから上手く伝えられずこじれてしまった。今になって思うけど、違う世代の人と真剣に付き合うなら、無理に背伸びして合わせるのだけは避けなきゃいけない。

その頃、同世代の仲間と遊ぶとやけにホッとしていた。同じ感覚、懐かしい記憶も一致する、それが案外自分にとっては大切なことだったんだ、と初めて気付いた。
年上の人はすでに大人で、わたしはまだまだ子供だった。
お互いに、幸せになれるように。
わたしは幸せに出来なかったけれど、他にあの人を幸せにしてくれる人がきっといつか出来る。そう願っている。
わたしがあの人を幸せに出来なかった理由はただ一つ。
わたしが幸せじゃなかったから。
それって、すごく自分勝手なようで、やっぱり大切なことなんだよ。パートナーが幸せでなければ、一緒にいる人間にも必ず伝わってしまうから。
お互いに幸せを感じていないから不安が生じる。相手の幸せを願うなら、まずは自分が幸せだと感じ、今ある幸せに感謝できるようになること。
そう思う。

誰がいてもいなくても、誰かがいるから幸せなんじゃない。自分が幸せだと感じるから幸せなんだ。
今、わたしは幸せに感謝して涙を流すぐらい幸せに思う時があるけれど、それもやっぱり、誰かがいるから幸せなんじゃない。自分が充実して、誰かに必要とされているから幸せなんだ。
それは恋愛だけに限らない、仕事でだって、必要とされていたら充分幸せなこった。