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Johnny One Time

うさぎと犬と似非哲学者がダラダラとカオスな日常を綴るどうでも良い空間。

ドロップアウトと在宅ワークの可能性

朝。地下鉄のホームに延々と伸びる行列にいつもの如く混ざり、急ぐ人の群れに足を踏まれそうになりながら、ふと前に並ぶ人の丸くなった背と落ちた肩の向こうに空虚さを感じて逃げ出したくなった。この、毎朝同じ時間の駅に集まる人々は、『普通』の暮らしを得るために、『普通』の家庭を守るために、『普通』の職に就いている。何年も何十年も同じ会社に勤め、通い、労働を提供し対価を得て、保障のない安定を維持しているのだ。その人生に見返りはあるのだろうか、いったい何に楽しみを覚えるのだろうか。その感覚が理解できないわたしは、人ごみの中であまりに孤独だった。


どうしても、普通の人生を歩めない。我慢がきかない。それはわたしが自覚する、最大の自分自身の欠点である。少しの我慢がやがて実を結ぶ、少しの我侭はやがて身を滅ぼすと分かっていながら、どうしても人の群れに息苦しさを感じてしまう。


しかし、だからといってドロップアウトする勇気もないのである。結局、いつも普通にあこがれて何となく就職先を探し、しかし途中で面倒になり手軽な派遣社員という立場に身を埋めてしまう。


すべてを就職氷河期のせいにはしたくない。だが、派遣という選択肢が簡単に見えているのも、若いうちに一生の仕事に出会えなかったのも、自分自身とあわせて多少なり時代の責任を問いたくなるときもある。


仕事がしたくないわけではない、できれば仕事はしていたい。しかし、何の魅力も感じない仕事に通うほど辛いことはない。いったん出勤してしまえば、そこにはわたしでなくてもできる仕事があり、一応はその仕事があるので時間はあっという間に経っていくが、時間の無駄のような気がしてならない。人生の中で二度と戻らない1日、1時間、1年という単位が、成長できない機械的な仕事に費やされて消えていくのは、命を切り売りしていると考えたときに、いくら見返りとしての収入があっても、その見返りはあまりにも少なく感じる。


ならば、どのような仕事なら続くのか。


1勤務スタイルが自由であるということ
2仕事を通して一生成長できるということ

収入よりも重要なのはこの2点なのだが、この2点を満たす仕事などそうそうない。特に、1の勤務スタイルが自由というのは非常に難題である。
しかし、現実をみず我侭だけを言うとすれば、毎朝同じ時間に起きて同じ時間に通勤ラッシュに呑み込まれて仕事へ行き、決められた時間にお昼休憩に行き、決まった時間に帰宅するというスタイルが、どうしようもなくわたしは嫌なのである。そうなると、自分の経歴や能力を無視して語るとすれば自営業をするしかない。会社で雇われている限り、その会社の決めたスタイルで仕事をするほか方法がないからだ。ここで問題なのは、自分の経歴や能力を無視しているということ。
たとえば、10年以上同じ会社で編集者をしていたとする。人脈も仕事のコツもすべてを知ったうえで独立してフリーライターになる。こういうスタンスであれば、自営業というかそれこそフリーな状況で仕事を始めることは可能だ。もちろん、独立したからといって稼げるとは限らず、食いつぶす可能性も非常に高いわけで、そこには経歴だけでなく向き不向き、能力というものが問われる。しかし、そもそも経歴も能力もないわたしが独立(というより最初からどこにも属していない(笑))するのとはわけが違う。
ろくな経歴もなく、ただ決まった時間に業務を開始するのが嫌だと我侭を言っているわたしに、できる仕事などひとつもない。
それが分かっているから、この10年、逆にわたしは派遣社員という楽な立場に甘んじていた。それが楽かどうか、人によると思うが、わたしにとっては自営業よりもよっぽど楽である。
楽だから成長がない。だから金稼ぎのためと割り切って仕事をするのが辛くなる。

しかし、続きそうな仕事を見つけるには何もかもが中途半端で足りない。普通の仕事はやがて退屈になって時間の消費と感じるようになる。

そこで見つけてきたのは、在宅ワークだ。これなら家でできて、自分のスタイルを確保できる。
在宅ワークは副業なので収入はあまり見込めない。月5万もいけば良いほうなのではないかと思う。しかし、いったん仕事を確立できればコンスタントに収入が得られるのではないか。
甘い考えの中、在宅ワークを探してみたが、これまた非常に人気の高い職種でありほとんど求人を見つけることは出来なかった。
ならば、自分でできる在宅ワーク、PC1台で資本金いらずの仕事を見つけていくしかないのだが、これには収入に見合わない大きな労働力が必要だ。
はたして、収入がほとんどない中での初期投資、確かに費用はかからないがプラスにもならない、それこそ毎日会社へ行ってきちんと仕事をしている人から見たら無駄な時間をすごしているとしか思えない多大な時間をそこに費やすことを、許してもらえるのだろうか。
そして、心機一転、というか乾坤一擲、身を投じてみたところで、本当にうまくいくのか。
未来は何も見えない。
それでも、したいことをする人生を歩みたいと思ってしまうのは、やはり我侭なのだろう。
この我侭を貫きとおした先に何があるのかを見たいと考えながら、見たくなくて結局はドロップアウトも中途半端に終わり、月曜日からまたいつもどおりの仕事へ向かうのだろうか。

自分を自分で持て余しているようで、ここ最近はとてもしんどい。